半年でゼネコンをやめて、インテリアデザイン事務所に就職
高知県のゼネコンを半年でドロップしてから、4年半ぶりに兵庫県西宮市の実家に戻りました。
大学時代から、実家を離れていた私には実家暮らしに慣れるのに時間がかかった。。
母の一言ひとことに受け答えすることがダルかった記憶があります
(親不孝もの)
23歳の私は四大卒のフリーター
西宮北口の、無印良品でバイトをしてた。
時給850円とか、そんな時代です。
5ヶ月ブラブラして、ハローワークで探した
芦屋市のインテリアデザイン事務所に就職。
社長一人、社員三人の小さな会社。
(社長60代女性、社員は全員20代・・要はアシスタント)
社長一人で、売り上げを伸ばし、社員はサポート(雑用)してるような形態です。
そこで、心機一転
/
新しい気持ちで仕事に取り組むぞ。
ここからキャリアは始まるんだ!
\
そんな意気込みでした。
とにかくね、、早くダメな自分を脱却したかった
同級生に遅れをとった自分が惨めだったんです。
ワンマン社長に振り回されてクタクタに
インテリア事務所の仕事の内容は多岐に渡ります
そこで、私はインテリアの色々を学びました。
社長は65歳の年配女性。
ワンマンで、人を見下して言葉が悪くて、人遣いが荒い!!
プラダを着た悪魔👿の
メリル・ストリープみたいな人。。
あんな洗練されてなかったけども…
気分のムラが大きな女王様気質の社長に対して社員はいつもビクビクと、気を遣って過ごしていました。
いままで、関連会社から社員がすぐ辞める。
長続きしない。会社だよ、と聞いていたんです。
すぐに、この人といるのがイヤになる
人格否定されて、自分がダメ人間みたいに感じる
でも、すぐに辞めたらダメだ!と奮い立ち、なんとか、だましだまし、勤めました。 (おススメしないけど)
もうムリ!辞める〜〜
二年間、暴言パワハラを受けながらだましだまし仕事を続けたけれど、
/
もうムリ!辞める〜〜えーんえーん
\
と思った矢先に、悪魔社長が、東京に事務所を移転すると言い出した。
移転を仕事を辞める口実にして、私はサッサと辞めてしまいました
あ〜私って何をやっても続かないなぁ。
私が無能やから、2つの職場が続けざまに、ダメにったんかなぁ。
落胆していました。
/
私って仕事が出来ない人間なんかな、、
\
本気でそう思ってました。
そんな25歳の拝藤チサトは何にもない、何の取り柄もない2つの職場を経験しただけのプライドだけが高いただの25歳でした。