拝藤チサトが大学を出るとき、就職氷河期と言われる時でした。
(1980年生まれ)
滋賀県の大学で、建築デザイン学科を卒業したのです。
しかし、建築事務所で働きたいとは思いませんでした。
だって建築事務所は修行みたいで大変そうでしたし、私に建築における抜群のセンスがないことは、大学の4年間でしっかりわかったしね。
受験したのは、ゼネコンや、住宅メーカー。
でも、ことごとく落ちました
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世の中、女性の建築卒なんて、
全然いらんのやなぁ。。
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と落胆した。
これはまだまだ軽い落ち込みでした。
その時は毎日『面接の達人』という本を読んでいました。
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そんな中、受かったのが、地方の中小ゼネコン。
なんとか、格好はついた~~
ホッ。。
(四大出て、フリーターなんて恥と思っていた)
心の中は、そんな感じでした。
やっと受かったのに、半年でドロップ
でも、始まってみたら、後悔の連続。。
関西を離れて高知県に就職。(兵庫県西宮市出身)
なんとか就職できたのに、仕事は全然楽しくない。
毎日マンションの飛び込み営業。。
(一年目はみんな営業)
(影のある顔、、)
直属の上司はパワハラ、先輩は陰湿にイジメ。
会社は立派な理想を掲げるけど、全く、現実は伴ってなかったんです。
朝は早くて、夜は21時に退社できるかどうか。
ゼネコンあるある、でしょうか??
やってることは、仕事じゃなくて作業。。。
朝はコンビニ
昼はファミレス
毎晩コンビニ
健康的な食事もとらずに、彼もいない。(遠距離)
家族も友人も側にいないいない。
毎日めっちゃ歩くからペタンコのダサぐつ。
飛び込みのマンション営業。
毎日汗をかくから安物ペラペラのスーツ。
どうせ誰も見てないし。
あれ?
わざわざ高知県に住んで、私、何やってんだ?
健康で文化的な最低限度の生活が出来てない。。
もうイヤー!!!
これは、私が求めた世界じゃない!!
そう思って、イヤになって、半年で辞めちゃいました。